論理を選択する力

 講師の一人が、「面白かった!」と言って、本を紹介してくれた。「国家の品格」(藤原正彦著、新潮新書)だ。
 今店頭に平積みになっているので、すでに読んだ方もいると思う。「言葉で明確に説明できないが、心の中でもやもやしていたもの」が、読んで大分スッキリした。日本人の伝統的感性を説明している本といえる。
 なかでも、成る程と思ったのは、論理についての説明だ。私たちは、論理的に説明されると納得して、その論理にしたがって行動を起こすわけだが、論理的に合っていても、それが正しいとは限らない。なぜなら、「論理の出発点は常に仮説」という根本的な問題が、論理には常に内在しており、それは、論理では越えられないからだという。
 つまり、論理の出発点は、感性や価値観で違ってくるので、どんな論理でも作り出してしまうことができるというわけだ。確かに、速読法の経緯について照らし合わせてみて、つくづく納得がいってしまった。
 速読の論理:
 (1)速く読むことができない>速く読むと、文字を飛ばしてしまう。>速読はできない
 (2)速く読むことができない>けど、速く読む人はいる>速く読む人の目の動きは停留が少ない>停留が少なくなるよう、認知スパンを拡げれば速く読める>これが速読法だ
 (3)速く読むことができない>けど、速く読む人はいる>一目でページ全体を脳裏に焼き付ければ、速く読める>これが速読法だ
 (4)速く読むことができない>速く読むと、文字を飛ばしてしまう>文字を飛ばさずに高速で見ていくことのできればはやく読める>視知覚能力をトレーニングする>視知覚能力が向上する>理解能力が向上する>これが速読法だ
(1)は、速読を認めない人の論理、(2)は、アメリカ式速読法の論理、(3)は、「速読脳開発プログラム」をまねて、速度だけを強引に作り出そうとしたキム式速読術の論理、(4)は、「速読脳開発プログラム」の論理だ。どれも一応、論理としては筋が通っていると思うはずだ。
 「速く読むことができない」という事実に対して、論理を作る人の観察の深さや考え方によって、論理はいくらでも作ることができるということがわかる。自分は、どの論理を選択するのか、そこに自分の観察力、思考力、論理力、価値観、感性が絡んでくる。
 人生は、選択の連続と言えるわけだが、その選択能力を向上させるのが、読書であり、「速読脳開発プログラム」だと確信している。
 本年も、教室物語のご愛読くださいまして、有り難うございました。(豊文)

「道」を歩もう

 前回紹介した坂田道信先生の本を読みました。
 ハガキを書くことは誰でもできることで特別なことではありません。けど、坂田先生はそれを、「ハガキ道」と呼んでいます。読書も誰でもできることで特別なことではありません。けど、読書能力を高めて速読脳を開くこの訓練は、私は「道(どう)」だと思っています。
 「道」って、なんでしょうか? どうして「道」と呼ぶのでしょうか?
 思うに、習得しようと追求していく過程で、人の生き方や社会、自然について、大いなる気付きをもたらしてくれるもの、そして、その結果単にその技術を習得するだけでなく、より良い生き方につながるものを言うのではないでしょうか。
 先生の本にもこんなことが書いてありました。
 「上手の世界では生きられなかった私は、下手に書こうと言って今日までやって来ましたが、私たちは下手の世界でも”生きられる”ことを知る為にこの世に出てこさせて頂いたのでしょうか。
 その下手の世界の中にじつに”味”のあるものが多く、今では上手下手をこえた世界もあることを複写ハガキに教えられました。それはすべてのものを生かしきる世界であるのかもわかりません。」
 「字も文章も下手な私がこうして書けるようになったのも、くり返し書いて来たからでしょうか。私にできたことはくり返し書くことだけだったと思いますが、上達の秘訣はその『くり返す』ことだけのようです。しかも、くり返すことだけが誰でもできることのようです。」
 ハガキを下手で恥ずかしいと思いながらも、くり返し書いていくうちに、上手とか下手とかを気にする気持ちを超越したのですね。「速読脳開発プログラム」でも、達人たちは、「速いとか遅いとかは、どうでもよくなった」と言います。
 ハガキ道と同様、速い遅いを気にせず、淡々と練習をくり返すことが、速読を「速読道」にするポイントというわけです。速読脳開花に向けて「道」を歩みましょう。(豊文)

坂田道信先生に出会う

 土日、岡山でのセミナーを終え、月曜日に帰京しました。
 いつもは朝の新幹線で帰京するのですが、今回は、坂田道信というハガキ道を提唱している先生の読書会を聴いてから帰ってきました。坂田先生は、「絶妙な速読の技術」にちょっと紹介した森信三の「全一学」の流れをくむ人で、次の本を書かれています。
 「ハガキ道に生きる」 坂田道信著、致知出版社、
 名前だけは以前から知っていたのですが、今回お会いでき、大変刺激を受けました。今回の読書会は、森信三の著書を実際に声に出して読み、それに続いて、坂田先生が、その内容を解説するというもので、大変啓発的でした。
 終了後、個人的にも少し話ができました。そのとき、「絶妙な速読の技術」を差し上げたのですが、昨日、わざわざ電話でその感想を寄せてくれました。私は授業中でしたので、直接お話しできなかったのですが、「牛乳と白砂糖に触れているのが特に良かった」との伝言でした。
 全一学というのは、西洋科学のように分析に分析を重ねて物事を理解しようとするのではなく、全体は関連付けられたひとつのものと見て理解しようとする東洋的実践哲学です。人間も社会もよく観察しているだけに、牛乳と白砂糖の害については、すでにご存じのようでした。
 「絶妙な速読の技術」の執筆に当たっては、読書能力の開発において、食の重要性を理解してもらえるかどうか心配しながら書きました。本の中では、集中できる体力を養うためにという名目で説いたのですが、実は、牛乳と白砂糖は、精神活動を鈍くさせるものと考えています。
 営業的には、嫌われるようなことは書かない方が得策なのでしょうが、本当に読書能力を向上させたいと思っている人のために、やむにやまれぬ思いで書いたわけです。それに、尊敬できる先生の支持を頂けたことは大変心強く、嬉しく思った次第です。(豊文)

初級講座をお勧めする

 会報「THE NEW BRAIN」で、初級講座の紹介をしたためと思うが、初級講座の受講生が増えてきている。会報を見ても分かる通り、初級講座の効果はなかなか大きい。「初級」という名称からみて、初歩のことをやると思っている方も多いと思うが、実は中身はなかなか侮れない。
 昨日、担当講師に聞いたが、2コマだけ受講して、読書速度が3倍に伸びた人がいる。受講前には、およそ600字/分だったのが、50分の授業を続けて2回受講しただけで、1,800字/分まで伸びたというわけだ。受講生がとても驚き、喜んでくれたと、講師もまた感激して語ってくれた。私も、嬉しい限りだ。
 これまでの、本講座は、創始者のパク先生の方法を、おそらく、パク先生以上(?)にその内容を分析し、速読脳の開発まで、ステップ・バイ・ステップでマスターできるようにしたものだ。訓練に用いるフォーマットは、基本的に、パク先生が創案したものを使ってきた。
 しかし、初級講座で使っている訓練フォーマットは、今までのものを踏まえて、私が考え出したものだ。パク先生の訓練思想から見て、この方が、効率よくできるだろうというものを考えたというわけだ。実は、そのフォーマットは、部分的には「ためしてガッテン」の二人のトレーニングにも使っていた。
 高いレベルまで持って行くには、今までの本講座の内容によらなければならないが、初級講座の内容でどこまで持っていけるかは、まだ未知数のところがある。いずれ近いうちに「初級」という名称を改めなければならないときが来るような気がしている。
 本講座の受講生の皆さんも、まだ二読以下の訓練をしている方は、本科や集中セミナーと並行受講して大いに役立つはずだ。ぜひ限界を追求してみてほしいと思っている。(豊文)

得難いチャンス

 昨夜は、ヨーガ講座の6回目、今年の講座の最終回だった。指導には、成瀬雅春先生が自ら来てくださった。内容は、今まで学んできたことに関する質問、新しい呼吸法、それから集中力のトレーニングだ。
 ヨーガの最終段階は瞑想だが、その瞑想にはいるために集中力は不可欠だ。6回の短期集中講座としては、最終回の内容としてふさわしいものだったと思う。しかし終了後の打ち上げは、今回の参加者にとって、さらに意義のあるものになった。
 先生が、講座の打ち上げに付き合ってくださり、そこでは、さらに突っ込んだ質疑応答がなされた。たとえば、「ヨーガの修行をして、最終的にどうなるのか?」まさに、本質的な質問だ。
 先生曰く「ヨーガによって自分を知ることができる。知ることができれば、コントロールできる。自分の本質を知ることができて、コントロールできるようになれば、例えば、死をコントロールできる。そうすると、生まれ変わることはなくなる」と。「生きているうちは、生を楽しむことができる」とも。
 いつも思うのだが、先生の著書の内容も、このような質問に対する答えも、一般的な知識が語られるのではなく、先生が体験を通して得たものを、自らの言葉で語ってくれる。それを読み、あるいは聞いたとき、さまざまな疑問が氷解したり、想いが腑に落ちたりする。
 このような機会というのは、一生のなかでもそうあるものではない。その意味で、先生と直接話ができるのは、実に得難いチャンスだと思う。来年も、ヨーガ講座を開催する。より多くの人が参加して、先生の謦咳に接し、それぞれ人生に気付きを得るチャンスにして頂ければと思った次第。(文責、豊文)