金次郎の読んでいた本:その2

大変なことが起きてしまいました。実は、水曜日三笠書房の担当者と打ち合わせをしたのですが、ここに紹介している金次郎の話などが、カットされる可能性が出てきてしまいました。
私は、当教室の宣伝臭い本にならないようにと遠慮して、受講生の例はわずかに抑えたのですが、編集担当の考えとしては、偉人のような偉い人は読者が親近感を持てないのではないか、それより「速読脳」を開いて自らの人生を切り開いていった人のほうが身近に感じるのでは、という意見です。なるほど・・・。
ということは、金次郎の話は、このブログのなかの紹介だけで、永遠に消えてしまう可能性が大です。いやはや貴重な話になってしまいました。というわけで、前号の続きです。
「 また、武家の教育は、儒学が中心で、読みやすい「小学」や「孝経」から始めて、四書五経へと勉学が進められていった。
 四書とは、礼記の中の大学と中庸、それに論語と孟子、五経とは、易経、書経、詩経、礼記、春秋を指す。このほか、中国の歴史書である「史記」「漢書」や詩文集、「日本外史」などの日本の歴史書も学ばれた。
 金次郎の思想は、一言で言えば、報徳である。具体的には、次の三つとして知られている。
 1.分度を立てる‥‥自分の分限をよくわきまえて生きること
 2.勤労する‥‥怠惰に流されず、努めて働くこと
 3.推譲する‥‥勤労によって生じた余剰分を他に差し出すこと
 この中の三つ目、推譲が報徳思想のもっとも大切な点だ。この精神を強調しているのは、「大学」という書物である。実は、銅像の金次郎が読んでいた本は、「大学」であった。
 父の亡くなったのは、金次郎が14才のときだった。その年齢で、勉学が「大学」にまで進んでいたということは、すでにそれ以前に、往来物を初めとするかなりの本を読み終えていたということであろう。
 彼が指導の折りに説いた話を記した「二宮翁夜話」を読むと、四書五経のほか、仏典などさまざまな書物からの言葉が頻繁に引用されている。彼は、それらの言葉を暗記していたのである。
 彼が読んだ本は、幅広い分野にわたっている。しかも暗記しているところから察すると、その大半を少年時代に読んだのではないかと思われる。
 素読から始まる当時の教育では、暗記することは当たり前だったかも知れないが、金次郎の素晴らしいところは、その暗記した内容を単なる知識で終わらせることなく、そこから天の理、人の理、人道(人間の生き方)を見いだしたことにある。
 それを具体的にしたのが、前述した三つの行動徳目である。これを実践させることで、百姓から武家まで、村から藩まで、多くの破綻しかけた財政を立て直した。金次郎の報徳思想は、大量の読書を基盤にした観察力と行動力から生まれたと言える。」
四書五経と呼ばれる本があったことは、多くの方がご存じだと思います。論語も、孔子の書いたもので、儒教の本だということも、やはり多くの方がご存じだろうと思います。実は、私もその程度しか知りませんでした。
けど、金次郎が読んでいたからには、私も読まなくては、と思って読んでみました。探したら、講談社学術文庫のなかにあるんですね。「大学」と「中庸」、これは読むべき本、繰り返し読むべき本だと思いました。この2冊を読むと、なぜ昔の、多分、明治の半ば頃までの日本人が、毅然として生き、明治維新を成し遂げることができたかが分かります。
私は、なるほどと思いました。今の私たちに足りないものは、これだと納得してしまいました。それは何だって? それは、次回にまた。(豊文)

金次郎の読んでいた本:その1

今度の本は、単に速読の話として役立つだけでなく、読者が読んで楽しめるようにということを心がけました。それで、前回のビル・ゲイツの話も紹介しているわけです。
日本人でも誰かいないかなと思って思いを巡らしたところ、二宮尊徳に思い当たりました。何と言っても、本を読みながら歩いている銅像の姿は、読書家の象徴ですからね。現代活躍している人もたくさん多読の人はいますが、評価がはっきりしているという意味で、二宮尊徳にしました。
けど、尊徳の生きた時代は、西暦1787〜1856年で、江戸時代の末期。そんな時代に本なんかたくさんあったのかなあと、疑問がわいてきました。調べてみると、それがあったんですね。驚きました。その辺に触れたくだりを紹介しましょう。
「 二宮金次郎が日本で最も多く本を読んだ一人かどうかは知らない。が、私が通った小学校には金次郎の銅像があった。薪を背負い、歩きながら本を読んでいる、よく知られた姿である。戦前はどこの小学校にも立てられていた銅像で、日本人に読書と勤勉の大切さを教えた象徴であるからには、触れないわけにはいかない。
 金次郎が生まれたのは、現在の小田原市、酒匂川にそった小さな村であった。
 祖父の代までは裕福な農家だったが、父や母が困窮農民に援助の手を差しのべたことと、大洪水のため、没落してしまった。父と母がその災害の後、相次いで亡くなってしまったからである。
 残された金次郎は、2人の弟を養うために、山に入って薪をとり、小田原まで売りに行くことになる。その姿が、小学校にあった銅像というわけだ。
 父は、百姓仕事よりも書物の世界が好きだった。その父の姿が、そのどん底のときにも、金次郎を読書に向かわせたものと思われる。
 一家離散のあと、金次郎は伯父に引き取られた。当時、百姓には学問は無用とされた時代であり、また伯父も一人前の百姓に育てようとしたが、金次郎は本を読むのをやめなかった。伯父が、夜本を読む金次郎を見て、灯りをともす油がもったいないと叱ると、自ら知人から菜種をもらい、それを植えて収穫し、菜種を油屋に売って油を得るというエピソードは、伝記に必ず出てくる話である。 
 では、彼が読んだのはどんな本だったのか。
 実は私は小学生のとき、一体どんな本を読んでいるのか知りたくて、銅像に登ったことがある。漢字が書いてあるのは認めたが、何という本なのかは分からなかった。
 当時寺子屋で教えていたのは、「往来物」と呼ばれる学習書だ。内容は、教訓、社会、語彙、地理、歴史、産業などあらゆる分野にわたっており、金次郎の時代には、すでに一万種類にも及ぶさまざまな本が出版されていた。往来物以外にも、儒学、国学、洋楽に関する古典や注釈書などがあった。」
江戸の文化と言いましょうか、教養の水準と言いましょうか、かなり高かったのだと、改めて思いました。
それで、金次郎の読んでいた本は何だって?
それは次回のお楽しみ!!
(豊文)

再開宣言!

もう、このまま没だろうと思っていた方も多いと思いますが、教室物語を再開します。
一体、何をしてたんだって?
実は、次の本の原稿を書いていました。
担当する授業のコマ数も多くなりましたので、ちょっと無断欠書(?)させて頂きました。
一言断ってからにしろって?そうですね。ゴメンナサイ、ひらにひらに、ご容赦のほどを!
今度の本は、今までで一番楽しく読めると思います。速読や読書の話だけではなく、読んで面白い話を随処に入れてありますから。発売予定は、多分予定通りいくと思うのですが、来年の1月です。三笠書房の知的生き方文庫の1冊です。是非、ご期待ください。
そこで、今回から数回、無断欠書のお詫びとして、原稿の一部を掲載したいと思います。
1-2-1 マイクロソフト世界制覇の秘密
 一流の経営者は、みな読書家だと言われている。
 現代のビジネス界においてもっとも成功した経営者は、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長だと言っていいだろう。言うまでもなく、彼が大変な読書家であることは、ビジネス界では広く知られている。
 では、彼は、どのようにして、読書力を身につけたのだろうか。
 小出重幸著「夢は必ずかなう」によると、幼年期は母方の祖母アデル・マクスウェルの影響が大きかったという。ゲイツ氏の両親は共働きであったため、アデルは子供たちが帰ってくる午後にビルの家にいて、本を読み聞かせたり、トランプで遊んでくれたりしたという。読書の大切さ、好奇心を育てること、チャレンジすることの楽しさを教えてくれたのも、祖母アデルらしい。
 その感化を受け、ゲイツ氏は、小学校のとき、家にあった百科事典「ワールド・ブック・エンサイクロペディア」を「A」から「Z」まですべて読了したという。どの程度のページ数があるのか詳しくは分からないが、これだけを見ても、その読書量は並ではない。
 当時を振り返って、ゲイツ氏自身は、次のように語っている。
 「とにかく、目に付くあらゆる種類の本を読み進んでいった。今でもそうだけど、本を読むこと、未知の出来事を知ることが大好きなんです。文学、小説、著名な科学者の伝記、それからSF、手当たり次第だった。特に科学者たちがどうやって成功したのか、どんな苦労や試行錯誤を重ねたかというくだりは、とても興奮して読んだ気がする。こうした読書を通して、農業技術や医学、コンピューターサイエンスなどへの興味が広がりました。両親は私を特に自然科学や技術領域に進ませたかったわけではないと思うけれど、私の好奇心は間違いなく科学の世界に広がっていったのです。」
 そして小学校の読書コンクールでは、読んだ本の数の多さで、いつも優勝したという。
 私立中学に進学したゲイツ氏は、後にマイクロソフト社を一緒に創業するポール・アレンに出会う。アレンの父は、ワシントン大学の図書館に長く勤めた人であった。その影響で、アレンもまた、ゲイツ氏が脱帽するほど膨大な量の本を読んでいたという。
 このような、まさに膨大な読書量をもとにして培った能力を持って、ゲイツ氏とアレンは中学時代から、コンピューターにのめり込んでゆく。そしてマイクロソフト社設立へと繋がっていく。
まずは、再開のご挨拶まで。
(豊文)